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「甲斐駒ガ岳」

黒戸尾根を経て


2000年8月10日(木)晴れ

昔と大違いの「ちくま号」

 大阪駅10番ホームは高校野球の応援に駆けつけた松商学園の応援団でごったがえしていた。
このホームから多分専用列車でも仕立てて帰るのであろう。

 21:41に「ちくま」はダイヤ通り定員の半分くらいの乗客を乗せて発車した。
この「ちくま」を利用するのは30年振りの事である。
薄らいだ記憶によるとその頃、イスの背もたれはかたい木製ではなかっただろうか?。
 大阪駅の中央改札口で席取の為、発車の何時間も前から並んだり、
満員の列車の中で余り睡眠も取れずとも若さでこなしたのだった。
今の私の体力で睡眠不足ときたら明日の登山が心配である。
ところが今日の座席は、座も背もたれもクッションのよくきいたものであったし、
空調も万全、座席も空いている、これならゆっったりと出来ると一安心する。

2000年8月11日(金)晴れ

 塩尻で中央東線に乗り換え韮崎駅に降り立つ。
気温は15度くらいでとても涼しい。昨夜の列車の中は冷房が良く効き寒かったし、
名古屋から乗客がドーンと乗り込んできて座れない人も出るくらいだったので、睡眠も浅くて体調は不充分気味。

 数年前から登山口の竹宇駒ケ岳神社へのバスの運行が廃止となっていたのでタクシー(6,000円)で行く。
後で判ったことだが、韮崎の二つ手前の「日野春」という駅で降り、ここからだと料金は半分で済むので、
皆さん今度行かれる時はこちらを利用しましょう。

「黒戸尾根」のすばらしさは登って実感

 南アルプス林道が開通して北沢峠までバスが入るので、甲斐駒に登る99%の人達は黒戸尾根を登らない。
私も甲斐駒に登るときは北沢峠からと思っていたのだが今回の縦走は歴史ある道を歩くこととなって、
ナガーイながーいナガーイ縦走に兆戦だ。

 甲斐駒を源流とする尾白川の流れは「日本100名水」に選ばれている。
神社の横でこの名水を水筒に詰め樹林の尾根に取りつく。

 計画では今日中に山頂を踏むこととしてあったが、夜行つかれに重たい荷の為のろのろ登山に、
休憩も度々取るなどで5合目にたどり着くと15:45となっていたので今日はここまでとなる。
歴史あるこの尾根はよく踏まれ道は歩きやすいが、登っても登ってもまだまだ続く。

2000年8月12日(土)晴れから一転あやしい雲行き

雷鳥とホシガラス

 無人小屋でグッスリと寝たので気分も天気も青空である。

05:10出発。


ここからの道はハシゴ、クサリ、岩登り、急登また急登の連続であった。
うぐいすやこまどりのさえずりを聞きながら七丈小屋を過ぎると、
ハイマツ、シャクナゲ、オオカメノ木や少し色づき始めたナナカマドが目立つ。
ハイマツの切れ目では雷鳥やホシガラスにも出会った。

 昨日は終日晴れだったが、今日は7時ころにはもう一面ガスッて来た。
8合目付近ではガスが切れ、正面に駒の山頂が姿を私達に見せる。
うれしくて何枚も何枚もスナップ写真のモデルとなった。
駒の左手アサヨ岳の向こうに富士形の北岳が逆光の中に黒い姿でガスの上に浮かぶ。

よけいな台風9号

 09:10山頂に立つ。
山頂は強風、ガスの切れ目に少しの間だけだったが千丈岳のなだらかな山容を目にすることも出来た。
その後真っ白なガスの中に閉じ込められ展望は全くゼロとなる。
 晴天が続く天気予報であったのに、“何故だ”と不可解であり、後で知ったことだが、台風9号の影響であることだった。


役立つストック

 山頂では20分くらいで下山とする。
下山時には、痛めた右足の膝が30分も歩けば痛み出すのでその予防のため初めてストックを使用した。
そして無理をお願いして出来るだけゆっくり歩くことに努めた。

 北沢峠のテント場に13:50着。
ゆっくりストックを使い歩いたお陰で右膝も痛くならず良かった。ストックは一本だけ使用したが、
ストックの有用性が理解できた。ピット・シューベルト氏の二本ストックは足の保護にもっと役立つものと思う。

このあと翌日

仙丈ヶ岳を往復し翌々日の8月14日に無事帰阪した。


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